にちかのコミュを読んでからずっと考えているんですが、“靴”ってなんなんでしょうね。
「色々な靴を履かせてくれる」「靴に自分を合わせる」(表記合ってる*1か?)というのは与えられたものに合わせる、言わばレールの敷かれた人生を歩んでるようなものなのかなぁと思います。人生は言い過ぎだと思うのでレールの敷かれた道を歩むぐらいですかね。
そもそも、合わない靴を履いているというのは足元がおぼついていない、背伸びしているのと似たような感じなんじゃないのかなと思います。それに合わせるというのは、背伸びで考えたら身の丈に合わないものに合わせにいくというだいぶ無理をすることになるだろうなと。
昔に他人の靴を見ないという話をアドカレで書いたように、本当に他人の靴を見ない*2んですよね。オシャレは足元からという言葉がある(ほんまか?)ように単に個人的に服装に対する興味がないだけだとは思うんですが、まぁ明らかに靴だけ派手な色だと確かに僕の目からも見えるんだろうなぁとは思うので、靴が先なのであれば、靴に服装、至っては自分を合わせるというのは自然なのかなと思えますね。
靴を題材にしたものとしてパッと思い浮かぶのはやはり童話のシンデレラなんですが、ガラスの靴に合う女性は1人しかいないという前提があるように感じます。ガラスの靴は、シンデレラの足に合うように魔法で作られたものなのでこの世に一つ、オンリーワン*3の、自分だけのものになります。
足を削ぎ落として履くというのが靴に合わせるという話と近い感覚なんじゃないかなと思うのですがどうでしょうか。自分を歪めてまで靴に合わせるというのは靴をどれだけ重く見るかだと思うので結論はなさそうです。
僕はシンデレラの靴より、共に歩んできて足に馴染んだ“靴”が何よりも好きです。時間経過のオタクなので。
ピカピカだったはずの靴が
同じだけ汚れてた
なんだよな。
この靴だいぶ履いてみたいんですよね。落ち着いた色ででかいリボンかわいすぎ。似たような靴を探した*4んですが、靴に合わせるには服も揃えなきゃだしスキンケアとかもしていった方がいいなとなって面倒でできてません。おわり。