久しぶりに泣きました。
最後に泣いたのはいつなのか、あまり思い出せません*1が、久しぶりに感じました。
久しぶりに感じた理由は明らかで、“泣こう”と思って泣かなかったからです。大学生なってからとかは結構「ここで泣いていいんだ。」というように、感情のメーターが振り切れそうな時に上限値を自らの意思でずらすことで涙を流すことが増えました。泣きたい時には泣いた方が良いと思うので、特に不満はありませんでした。感動のような涙を誘う感情はしっかりと持っている状態ではあるので。
今回は普通に涙を多少抑えようとしたのですが、脳が勝手に解釈をしてしまい、詰みました。気づいた時には、いわゆる堰を切ったように涙が溢れ出していました。
ギャグを繰り広げていたのに急に御涙頂戴の展開がやってきて、更に母親が娘と父親に残したビデオレターだったので、古橋静流*2か〜ワロタねと少し感情メーターが上がりつつも楽観的になっていたのですが、ダメでした。「18歳のお誕生日おめでとう」でダメでした。
本当に。
時間経過のオタクなのかもしれません。
残された家族が自分がいなくて寂しい思いをしないよう、常にそばにいるのだと意識できるよう、毎年見るように作られたビデオレター。
生者から生者にしか物は贈れません。しかし、これは“死者の思い”を載せた生者への贈り物なのだと考えてしまった結果、体の底から涙が湧き出る感覚がしました。
しかし、自分と同じ理由で泣いた、同じことを考えた人*3は観測できませんでした。
同じ考えに至る人間がいないと、まるで自分が普通でないように感じてしまいとても悲しくなりますね。まぁ誰かわざわざ呟いていないだけで考えた人はいるだろうと信じているのですが。
涙の理由としてはそれだけではなくて、ここ最近、幸せな家庭を築くことこそが最大の幸せなのではないかと感じ始めていることも影響していたと思います。時期が悪かった(良かったのかもしれない)よ。全員が笑顔でいられるようなそんな家庭を築き、幸せでいられるように家族を守る。そんな当たり前と感じる人が大勢いそうなことを、当たり前にするということが、とても難しく、とっても大切なことなのではないか。そんなふうに思います。
深夜にリズムゲームと歌姫を周回しながらアニメ見て大声を出したり、漫画を読んで気持ち悪い声を出しているような奴*4がそんなふうになるのは無理なんじゃないか?と思いますが、頑張っていきたいですね。
なぁ、“1人”で生きていく方が楽に生きられやしないか?どうなんだ?
オタクといてもこの答えは見つからないだろうし離れ得だろ。